好きなら好きなだけ遠いよ

ぶつくさと独り言

あなたという人を信じている

 

 

『人生はつらく困難だし傷つけられることは避けられない。そのことにたじろいでも私達が彩り続ける、だからどうか崩れないで。たとえ孤独で頼る場所がなくても』

 

えりちゃんはいつも伝えようとする。今日だからじゃない。ファイナルは伝えたいことを広く多く深く人に伝えられる場としての側面もあったけれど、特別な日だから特別なことを言おうじゃないんだ。少なくとも私が知った'17年からずっと私達の生活の充実と幸福を祈ってくれて、その役目を自分が担いたいとプラメで送ってくれていた。全てが地続きでここにきてる。

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これは小田えりなさんと2021年5月23日チーム8 全国ツアーファイナル神奈川県公演についての覚書です。

 

ソロステージで歌っていた『暗闇』だけれど昔「やりたいこと やりたくないこと やらされながら」という歌詞を見た瞬間曲を聴くことをやめたと言っていた。自分のような職業で立場の人間がそれを口にすることに強い懐疑があったと。彼女自身これまで苦しんできたとき歌そのものやAKBに励まされてきたから。その存在から"やりたくないことやらされながら"と発せられることは、眼差してきた人間にとってどう受け取られるのかとその場で考えが巡ったのだと思う。けれどなんやかんや彼女にとって『暗闇』はずっと聴くぐらい好きな曲に変化していた。彼女は良いと思ったらすぐに考えを翻す。見栄のために大事なことをふいにしない。そういうところがすごくかっこいい。でも変化した過程もなんだかわかるような気がするんだ。善の概念というか相手にとっての理想像を崩さぬように、実際はそうであると感じていても、それによって苦しんでいても言動を望ましいとされている方向へと規制すること。それって当人はどうなるの?顧みられることはなく、口にもできず抱えていくしかないの?って。集団を包括的善に仕立て上げると個人はそれを持続させるための機能になりかねないけど、独立した一個人としての幸福や尊重を考えたらそれぞれが思想のもと主張と行動をしていくほうが絶対いいよ。たとえそれが不道徳であっても倫理に反さなければ。彼女は自身が他者に十分に影響を与え得る存在であることを自覚している。それが特別で、だからこそ責任を負うべきであるし、権限を得たのならそれを孤独な人間に寄り添うことに使おうとする。

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彼女は大切なものを大切にできる人で、私はそれにすごく憧れている。小田家の愛猫はポコちゃんというのだけれど昔は大切だからと写真さえ見せてくれなかった。大切なものを不必要な視線に晒させない。そういう誠実さが好きなんだ。えりちゃんは8のみんなを大切にしているけれど、早坂つむぎさんに関してはハッとするくらい大切にしていた。美しくてサファイアのような人だと形容していたのを覚えている。それもプラメで教えてくれたんだけどさ。彼女自身も繊細だけれど、静かで繊細な人と接する時はわざと道化を演じる。傷つけないように、でも心は晴れやかに笑っていてほしいから。間の抜けた振る舞いをする。そうすると誤解された見方をすることもあるけれど、その点については人の心を守れるならいいみたいなとこあるんだよね。自分が本意でない捉え方をされることがままならなくて、アンチのコメントも都度拾い訂正を入れるような人なのに。-今でも覚えたいるのが755に食事の写真を掲げた際、飲み物がワイングラスの形状の器に入っていてしかも紫色で。ヤジコメでお酒飲んでるの?等の書き込みがあったかは知らないけど、これはぶどうジュースですと怒り気味で投稿していて、あらあらめちゃくちゃえりちゃんだと笑みを浮かべてしまったことがある。-  新規加入したメンバーにもそう。杏華ちゃんとかれいちゃまとかキッズ好きのイメージが先行しているし、それもそれで事実だけどひょうきんな絡み方をするのはデビュー時の経験があるからと思わずにはいられない。現体制の組閣前は8は最早別グループの扱いだった。AKBの円陣に入れてもらえないし、コンサートでも出番は別、各所における表記から外されていたり、チーム8 "さん"みたいな揶揄なされ方だった。AKBに憧れて入ったメンバーだっていただろうに、自分もその一員のはずであるのに憧れの存在から疎外され続けるってあまりに辛すぎる。私は本当にそれが嫌だった。軽薄で無遠慮で大声の人たちという8を知る前にAKBに抱いていた印象は覆っていなかった。接点がなく知らないからと手を差し伸べられることもなく、頼れる人もおらず、肩を寄せ合って自分達でなんとかするしかなかった。組閣で8総兼任ときいて正直今更何を…という怒りと不安しかなくて、今の愛による連帯のAKBはまるで想像ができなかった。なんだかドレイクと蟹江みたいだね。えりちゃんは自分が味わった悲しみや苦しさを、年少者や後輩には味わせたくないから関心を持って働きかけている。初めての環境で知る人もいない中で支援を受けられないことがどれだけ傷つくかわかっているから。

自分が受けたblessを人に与える存在になる、自分が受けた苦しみを後続の若者には決して味わせないと努力する。人がそうでありたいと願いながら成し遂げることが難しいことを実践し続けるひとなのよ。それって善の信念体系であり生活の態度であり社会への責任でもある。

 

ソロステージは1曲目からもう。久しぶりに姿を見れたとか歌声とか色々あるけど、自分がこんなにも人に対して好きという気持ちで満ち溢れることがあるのかと泣いていた。思想も伝えようとする姿勢も変わらずの彼女で、だから好きだし。好きとか言ってるけどえり坊に対するstrong feelingは"あなたという人を信じている"それが全て。道徳とはつまるところ直観だと思っているけれど、彼女はその道徳的直観に優れすぎている。終演後のSRでも強く表れていた。

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『暗闇』について「うまくいってない人の歌じゃないですか。前向きになろうとか、わたしの中ではもう大丈夫なんですよ。レッツゴー!って感じじゃなくて、心が落ちている人、悩んでる人にもささるような曲を歌いたい。孤独な人を励ます」と語っていた。そのままToxic Positivityについてなんだよね。えりちゃんにとってToxic Positivityという語が既知のものか把握のしようがないけれど、恐らく、恐らくだけど知らない。彼女は理論ではなく直観として、人にこう働きかけたい、自分はこうしたいと実践すること全てが私の思う人としての正しさや優しさそのものなの。そんな人に出会えた私の福音を想像してほしい。AKBが好きだって言うと口の端に嫌な笑みを浮かべながらへらへら質問されることがあるけれど、私がこの世で一番嫌いなものが冷笑なんだ。人をばかにして嘲笑う。それめちゃくちゃダサいし、そういうのもう大丈夫なんでget out my zoneなんでって気持ち。

 

そしてマジムリ外伝タウちゃん。散々階級に振り回されてきた彼女が手紙に綴った内容が人生すぎて。当たり前に泣く。リリー・フランキーでにししと笑っていた子が負わなければいけなかったこと。本編開幕1曲目は何となく長い光かなと思っていたけれど、ヨシマサさんのピアノが奏でたのは『泣きながら微笑んで』だった。いつも人の心を揺らす歌声で、それが彼女が自身の想いを曲に乗せているからだとわかるから好き。ヨシマサさんを見るとコスミックインベイションのあの美少年がもう白髪混じりになるほど時間が経ったのだなと思ってしまう。3曲目、えりちゃんといったら『涙の湘南』まである。歌い出しのコールおっだえりっな〜!を叫びたかった。近くに女の子おたくがいたんだけど開演前に話していたのが聞こえて、ひとりは朱ちゃん、ひとりは立仙のおたくらしく今日はおたく卒業式って話してた。その二人が涙の湘南で振りコピしててかっけ〜となったので私も涙の湘南くらいは踊れるようになりたいと思った。あれから半年以上経つけど何も手をつけていない…そしてひゆかちゃんは何をしていてもかっこいいし芯のあるパフォーマンスをしていた。意志の力が強い人の確かな輝きという感じで、全身から期待のルーキー感が出てた。そして『君は僕の風』。私の推しメンはノー勉でセンター試験選抜になった。対策勉強して臨んで1位になるのもかっこいいけど、あの問題群をファン当時の熱量で解いちゃうのもかっこいいと私は思う。センター立っている時のキラキラ感もそうだけど何より歌詞の全てが好き。そして『へなちょこサポート』えりちゃんが8で1番好きだと言い続けている曲。初めて総選挙でランクインした時の公式スピーチでも、1フレーズ歌った。この曲の詩を見れば彼女がどんな人なのかわかる。人に寄り添おうとする心。

 

そしてひぃちゃん。あの映像が映された瞬間から心臓がばくばくし出して、現れた瞬間血が沸く感覚だった。踊り方が優雅だったな。プデュ…一視聴者として心の底から楽しんでいたけれど、えり坊のファンとしては憎んでいる。毎日プラメを送っていた人が突如として2週間音信不通になった時点で不信感しかなかったし、何よりあなた方におれらの大切な人が傷つけられる謂れはない。良い経験になったってそれは2回目の順位式まで残れた人の言葉だと思うよ。先生達のことは大好きだけど当初文化的差異に困惑し、それを考慮し判断を下すことができず、ただ能力の否定と人の心を砕くことしかしていなかった。1回目で去ったらそのケアも伸ばせる部分の指導も十分に受けられない。ステージで更に魅力を示すことも。

彼女は歌について自信があるとも得意だとも上手いだとも言わない人なんだ。少なからず自負しているだろうけれど、いつも好きなんだという言い方をする。自分が歌に込めた想いが少しでも誰かに伝わればいい、ってそんな人なんだ。その人が歌を嫌いになったと言うんだよ。プデュから帰ってきたえりちゃんは卒業の輪郭を纏っていた。卒業する人の匂いが微かに香ってくるようになった。あれから日常に戻ったように見えて無力感の鎖に繋がれているように、ひどく臆病になり自分を卑下するようになった。それが悲しくて悲しくて、ああ彼女にとってあれは一生の傷なのだと思うと。あの夏のことは私が口を挟めることじゃないけどさ。ひぃちゃんが戻る頃には自分は卒業しているかもと言ってた時もあったからふたりが一緒にステージに立てて良かった。個人的に横アリが延期になったからひぃちゃんも出演できたとそれが美談の文脈で語られることに違和感があって。何であれ横アリで開催できたならと思い続けるしら、思いがけない幸運は思いがけない幸運でしかない。けどさschool rapper4でのウォンシュのリリック「どう足掻いたって起きることは起きる」って感じで、この現実はこの現実で最高かもね。ひゐえりで思い出すことというか19年夏の握手会でえけびと会津湾が隣だった時があり、一つ前のおじさんがこの後ひぃちゃんの所行くけど伝言ある?とえりちゃんに聞いててさ、それに対して「伝言?ん、ない!伝えたい事あったら自分で伝えるから」と一蹴してたのを見てこの人のこういうところが好きなんだよなと思ったら記憶。あとはこの動画かわいいから見てほしい。私はひゐえりより小田栗派だけど(余計な一言)。

https://twitter.com/roychan_hyichan/status/964848930788859905?s=21

 

『君にウエディングドレス』をではあんまり綺麗で友達の結婚式で泣いちゃった時のことを思い出した。『この涙を君に捧ぐ』ではのんのんの歌声が聴けてうれピーマンだった。あと『点滅フェロモン』。結衣ちゃん濵ちゃん芹ちゃんらんりー華恋ちゃんみっさーとう激豪華メンツでありがとうおたくが大好きなやつと手を合わせていたけど、らんりーに1番目を引かれた。みんなかっこいい。ほんとありがとう。そこからのひゐえりによる『思い出のほとんど』。歌詞の"同じように見えても違う景色なんだ 気づいてはいたけれど 触れたくなかった空…"が日本と韓国でそれぞれ活動する二人の距離に当てはまり苦しかった。泣いてしまったよ。この後のパートは8オリジナル曲ブロックでブチ上がった。

 

アンコール。アンコール発動は元メンバーの動画だった。せかしもさんが映った時振りコピ女の子おたくが香鈴ちゃん可愛い〜って言ってて、わかるせかしもさん可愛いよねと心の中で同意していた。

EN1『長い光』

彼女はずっと言い続けてきた。AKBで1番好きな曲は『長い光』だと。「愛とはいつもそこにいること、長い光 命ある限り絶えることなく照らし続けよう、愛しさを鏡にして私の光を届けさせて、長い光 永遠の祈り」と歌詞にある。想いを知るには聴くが易しだからまず聴いてほしい。"愛は常に資本と階級の前に敗北し弱者は搾取される"この世で信じられる人に出会えたことに感謝して。

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EN2『願いごとの持ち腐れ』

この文章は先生も読んでいるかもしれない。個人的なやり取りをこう文字に起こされたら気分を害すかもしれないなと思いつつ。願いごとの持ち腐れが発表される少し前、先生と問答のようなやり取りをしていた。たったひとりで神様の前に立ち「願い事をひとつだけ叶えてあげます」と言われたら何か考えるのではないかと聞かれ、私はたったひとりのときに望みは浮かぶのでしょうかと答えた。欲はたくさんあってもたったひとつ叶えてほしい願い事が浮かばなかったから。そうしたら先生は自分のひとつの願い事は、私がひとつの願い事見つけることだと言ってくれた。『願いごとの持ち腐れ』を聴くといつもそのことを思い出す。まるであの時話したことそのものだったから。願いというのは自分ではなく他者を想うことだと。その私にとって特別な曲でえりちゃんは初選抜になった。それに彼女の考えにも重なるように思える詩だからまた聴けて嬉しかった。

EN3 47の素敵な街へ

これまでのツアー集合写真の秋田で懐かしさが決壊しそうになった。実験実習必須レポート再提出になってしまって秋田に応募できなかったということもあったり。 

EN4約束よ

全編を通して卒業ソングとされるような曲を多く披露したのも、きっとえりちゃんが伝えたい言葉がそういった曲に多いからなんだろうな。別れる時にようやく言えるような大切な言葉を、切実な情緒を、別れる時じゃなくて"今"伝えようとするあなたの姿勢。やっぱり優しいということが1番セクシーだし、1番かっこいい。何しててもかっこいいよ。

 

 AKBが愛で満たされすぎていて、その外の世界の脅威に慄いてしまう。愛で満たされたからこそ糧として鎧として基盤として日々をサバイブする力に変えられる人もいれば、その愛に満たされた状態の中でなければ息ができなくてその外ではけちょんけちょんになる人もいる。でも私は少しでもましな人間になれるよう努力するよ。少しでも誰かに良い影響を与えれるように。えりちゃんを見てるとそう思う。


 余談だけど近頃「推し」って言葉がすごく苦手であまり使いたくない表現なんだ。だからbiasって言ったりしてる。いやただ英語で言ってるだけやんというのはごもっともで。汎く多用される「推し」という言葉に含まれる尊厳ある個人に対しての気安さ・猥雑さに目眩がしてくるから字面だけでも逃れたいの。と言いつつ使い慣れているし推しメンという表記がその文の並びにぴったりな時もあるから今回も使っちゃったけど。

最近ハーブティーにはまってる。茶って手軽な救いだよね。

ばいばい