好きなら好きなだけ遠いよ

ぶつくさと独り言

永遠の先、というのはとても美しい表現だと思う。願いは叶わないかもしれない。限りなく実現しがたい。けれど思い続けること自体が希望であり、永遠の向こう側に成就する未来も内包するこの言葉が好きだ。そう思えどもこれまで実際にそんな強さで何かを想い続けたことなかったかもしれない。4月1日まで。

 

「だんだん気持ちが強くなる感じかな」

そう話していたのを覚えている。16期合宿のなかで君はペガサスの楽曲イメージについて話し合う場でのことだった。 

 

君は自分で翼を捨てて まっさかさまに堕ちていく

心が血を流し 赤い夕陽のようなロマンス

もしも二人が出会わなければ 君を失うことなく

僕は空を見上げ ずっと伝説を信じていた

 

他のメンバーは恋や悲しい感じと言っていた気がする。私も同じように悲痛さというのがまず浮かんだことだった。でもたっちゃんはそう言った。だからだんだん強く歌うことかなって。自分には感じ得ないことだった。それをこの人は感じ、それをどう表現するかというのが自身の中にある。周りはうまく掴めずのっぺりと見たものを口にしていた印象だったけれど、彼女はありありと感じているようにどこか柔らかくふうっと話していた。それが始まりだった。この人が生み出すものが気になる。特に光を放っているって。引力のある人だった。その様子をモニタリングしていた菅井先生はみんな恋愛に寄りすぎてるんだよねそっちじゃない方向に行ってほしかったんだけどと前置きし、田屋は私と表現の方向性が似ていると話していた。

 

 

熱心に好きだったのか?彼女のなにを見てきたのか?と問われると言葉に詰まってしまうし、答えたところでぶん殴られるだろうな。私が見ていたのは劇場での姿、番組での姿だけだ。SRも755もほとんど見たことがなかった。握手会も行ったことがない。あなたを知らなくとも好きだというのは詩人の考えで、知る手段があるのに知らないで、知ろうとしないで純粋に好きだなんて言うのは戯言だよね。自分でもわかってるんだ。好きだと言いながら、関係しようという努力なしに、それを何かきれいな純粋なものだと言い張るくらい寒々しいことはないと。Get you!に "気づかれなくても構わないなんて臆病な言い訳" という詩があるけれど、それを聞くたび "よく知らなくても好きだなんて卑怯な言い訳" と頭に浮かぶ。ああそれでも、この期に及んでも、私はたっちゃんが好きだと言い張る。図太い人間だよ。

 

あれはレツゴーに2回目に入った時、逆生誕でセンブロの2列目に座れた。こんな前で見れるのは初めてでたっちゃんとさきぽんと叶ちゃんを見るんだと決めてたんだ。パフォーマンスでもMCでも見上げればキラキラしたお顔がそこにあって見過ぎていた自覚はあったけど、たっちゃんばっか見てたら不意にばちぼこ目があってひゃっ!と声が出そうになった。その頃は新米おたくで劇場に来るのも4回目でこんな前に座ったことないし公演中にアイドルとこんなはっきり目が合ったのは初めてで、あー絶対気持ち悪いばばあだと思われた…とちょっとへこんだ。そしたらお見送りでたっちゃんに「ねえ!結構目合ったよねえ!😁」と言われ、その言い方がとても子どもっぽくて中学生らしくて可愛くて。7歳も年下の子に声を掛けられて気恥ずかしくて頷くことしかできない自分も恥ずかしくて。でも本当にニカッて聞こえるくらい眩しい笑顔だった。でもそれが最初で最後で、以降お見送りでたっちゃんから反応を得られることはなかった。それは当然のことなんだけどね。言葉に出さなければ、行動に移さなければ通じる筈がないのにたっちゃんのファンなんだってどうにか伝わらないかな〜なんて勝手で都合のいいことばかり考えていつもお見送りで手を振っていた。握手会に行けば違ったかもしれないのに。でもあの当時13歳で去年までランドセルを背負っていたと考えるとどうしても気が引けた。合宿で彼女の解釈と表現に途轍もなく惹かれたあの時は、年齢とか関係なしに一人間としての魅力に惹かれただけだったのに。

 

会いに行きたいけれど踏ん切りがつかず1年が過ぎ。レッツゴー研究生公演は終わりアイドル修業中公演が始まっていた。1年経って私の目も肥えてきた。当初は自分が全くダンスできない人間だから何でもすごいすごい〜と見ていたし、パフォーマンスの如何とか巧拙とか全くわかっていなかった。劇場公演に入る回数を重ね、オンデマンドに齧り付き、あとは栄さんを好きになったのも影響してるかもしれない。いつからかわかるようになってきてた。しかも、前後列入れ替えとか移動とかでぶつかるとんあ"あ"あ"となる面倒くさいタイプのあれに。AKB劇場だと柱の関係でステージ全体が見れないのとちょっと薄暗いのとカメラワークが神なので通常で見てたんだけど、栄さんオンデマは専ら定点だった。修業中や手つなを定点録画しておかなかったこと今でも後悔してる。でも通常カメラでもたっちゃんの全力ダンスは際立っていた。ステップ幅と大きさと勢いとジャンプの高さ、体のひねり方とか全力具合とかなんて言ったらいいのかわかんないけどパフォーマンスの全てが好きだったんだ。繊細で感受性豊かで人の心を揺らす歌声に、溌剌としていて気持ちが良くて見ていると楽しくて元気になれるダンス。どの公演でもジャンプはたっちゃんが1番なんじゃないかってくらい。伸びがある跳び方をするんだ。滞空時間が長くて着地する時もストンと落ちるんじゃなくてふわりと。誰よりも高く気勢に満ちたジャンプにずっと変わらないままでいてと何度思ったことか。どしょっぱなからブチかまして踊るたっちゃんをみるのが本当に楽しくて楽しくて大好きで。そして忘れもしない14歳の生誕祭。田屋ちゃんは子供感があるから推しでなくてと言われるのだとスピーチで顔を歪め涙を流していた。年齢という当人の努力ではどうにもならないことが不利に働く理不尽さに苦しんでた。それが彼女の受難であったのだとあまりに深い眉間のシワとその慟哭に思い、そして刺さった。だって今までの私の考えは彼女の苦しみを助長するものであったし、不当だった。

 

私が中学生、というより若者と接触することに恐れを抱いているのには少なからず過去のこともあった。まだ坂のファンだった頃とても素敵なひとがいて、姿形に惑わされず乃木坂を真摯に見つめようとするその目に驚いた。しかも彼女はまだ中学生だという。言葉遣いから表現の仕方まで愛に溢れどこか成熟したような印象がありOLなのかと思い込んでたから衝撃だった。中学生でこんな考えができるなんて成長したらどうなってしまうのだろうと末恐ろしく、また楽しみでもあり。彼女は不思議に私を慕ってくれていて私の言葉に熱心に耳を傾けていた。ただふと言ったこともスポンジのように素直に吸収していた。そして次の言葉をせがむ。私は途端にこわくなってしまった。無垢な目にたじろいだと言った方が正しいのかもしれない。機微を捉える力があり、多くに触れ多くを吸収する若く揺れる時期。自分の些細な一言が思春期の少女に何かしらの影響を与えるのだと思うとその責任の重さに耐えかねた。中高の教師というのはよく学生と交流できるものだとも思った。人が人に関係していくって本当に奇妙なことだ。私よりもっとずっと賢い人だったからそんなものは無用な心配だったのかもしれないけど。アイドルといえどもこわかったんだ。握手会といえどもこわかったんだ。数秒といえどもこわかったんだ。それこそ無用な心配なのにね。でもスピーチを聴いてようやく決心できたんだ。握手会に行こうって。タイミングやら経済状況やらで結局スピーチから1年後になってしまったんだけど、今年の8月11日浴衣祭りの日に取ったんだ。その頃には就活も終わっているだろうし、やっとたっちゃんに会える!って。21歳が半年後を楽しみにスキップでもする勢いでだよ。券も届いてたんだ。そこに卒業発表があって。

 

それにしても、卒業発表のたびに耳にする会える時に会っておかないと云々という言葉は使い回された古い呪文か何かなのか。私はこの言葉が苦手だ。愛ってそんなセールの時に買い溜めておけみたいなものじゃないだろう。人はその人のタイミングでしか会えない。だからその時が大事なんじゃん。後悔のないようになんてよく言うけれど、人を好きでいることは後悔するってことだよ。そのヒリヒリと尾を引く後悔が愛なんじゃん。その後悔は人生における傷になるかもしれない。悔いて心がぐしゅぐじゅして痛くて苦しくて薄暗くて。でもそういうものをだいじに抱えていつまでも傷であってほしい。私はそう思ってしまう。記憶とはある意味で裂傷だ。次第に薄れていくし、傷は何かしらに依拠する。ひとりでに無から生まれるわけじゃない。何かのために努力し怪我をすることを勲章と言うだろう。何のために傷ついたのか。痛くとも辛くとも悲しくとも苦しさに苛まれても大切にしたい傷はある。できることなら薄れずに。

 

とても現実のことと思えなくて、その文字の並びは不可解で意味が通らないと思った。そしてあまりに淡白で。こんな日が来るとは思っていなかった。私は夏になり楽しそうにはしゃぐ姿を見れば次の夏にはここにいない人がいるのだと、これは静かな最後の夏なのだと悲しくなる人間だった。誰にとっても最後の夏である可能性があるとそれだけは心に留めておこうと努めていた。だけど…たっちゃんにだけは変わらず次の夏がくると信じ切ってた。「AKBのファンでなくなってもたっちゃんの成長だけは見ていたい」だとか「たっちゃんが高校卒業して成人するまではAKBのファンでいる」だとか言ってたくらいだ。どうして信じるという奇癖をやめられないんだろうね。あっという間の少女と言うには早過ぎた。卒業発表から活動終了まで約2週間。投げたけど30日も1日の公演も外れてあ〜やっぱ駄目かあ…絶対当たらないだろうなと半ば諦めてた。でもビンゴで優勝して立ち見で死ぬより指定席で応募しようとダメ元で投げた女性枠が当選した。ちょうどタピオカを飲みながらドーナツを頬張るという休日らしいことをしていて、片手間にいじっていた携帯をいつもの癖でメールを開いたところ。よくわからない声をあげてしまった。氷の間に残った飲み物をストローで吸い上げたときみたいな不快で大きい声。後悔はいつまでも続くのだろうけど、最後に救われたような心地で。帰りに黄色い便箋を買った。

 

この日のことはうまくまとめられそうにないからごちゃまぜに書くね。

本編

開演前BGMがチーム坂ってふつうに反則じゃんね。岬へ続く道全力走ろうか?だと、これから美咲へ続く道全力走るんじゃ〜〜心臓破りの坂だってどんとこい〜〜となった。チーム坂といえばこの歌い出しでたっちゃんを映す粋なやつよくしてたしね。千秋楽もそうだった。私はねチーム坂のあの日の光こそ青春そのものだという歌詞が好きで、レツゴーで踊る姿を見ながら今この瞬間が光で青春だよと何度も何度も思ってた。けどねあの日の光じゃなくて正しくは怒りだったんだ。1年強も聞き違えててそれに気づいていなかった。あの日の怒りこそ。でも何十回聴いても私にとっては光で、劇場の熱気の渦の中で燦然と輝いている光景が焼きついててやっぱ光でしかない。チーム坂でこれまでのたっちゃんを思い出し、また今日は卒業公演なのだという事実を突きつけられた気がする。とはいえども。公演が始まってみても、これは永遠に失われてしまう瞬間なのだとどれだけ言い聞かせても、雲の上を歩くような実感のなさしかなかった。目だけは逸らせずにただ1人だけを見て。知ってる?僕らの風のステップはたっちゃんのものなんだ。あの弾むような軽やかで力強いステップは先輩だって後輩だって誰だって敵わないんだ。僕らの風もマンゴーNo.2も手つなもチャイムはLOVE SONGも誰もたっちゃんのステップに勝てやしない。重心の移動から大きな動きを支える柔軟で瞬発力のある筋肉から膝腰の入れ具合から、言葉にするのが難しい踊り方の癖までこんな全部全部好きな人他にはいなかったと今になってすごく思うようになってしまって。ユニット1曲目はGDだったけどメインの3人じゃなくてあんなにBD見たのも初めてだったな。たっちゃん見てようと思ってたし実際見てたんだけど視界の隅に入る彩希さんの動きが良すぎてパッとそちらを向いてしまったのも良い劇場公演って感じだった。チョコの行方ではいつもは地蔵な私もあ〜やきもきやきもき〜!とコールしちゃったりさ。コールは声出すまでが遠いけれど声出してしまえば楽しい。ユニット明けは最後だからチョコの行方メンに何でも言いたいことってお題だったね。さややさんは同じ髪型ばっかだから他のもしてほしいとか、馬嘉伶さんは髪切って茶髪にしたのがすごく似合ってるとか、彩音ちゃんは細すぎる楽屋が隣だけどめちゃくちゃはみ出してくるとか。とりとめもないけど大事な時間だった。なんだかね馬嘉伶とか彩音ちゃんの茶髪見てたら、この先たっちゃんが髪染めてショック受けてああでもやっぱり明るい色も可愛いねって言える未来がきてほしかったよとシュンとしてしまった。中盤のinnocenceはとても普通な感じで踊ってた。これについてはまた後で話したいことがあるんだ。この日の公演で(というか4で?)マイク持てないのたっちゃんだけで、そうか…まだマイクを持てない歳のままで…とそこでも悲しくなった。MCもね、MCもよかった。無茶振りコーナーで大西さんの考えた台詞にえ〜こんなの言ったことないよ〜とくねくねして照れてたのが、昔からずっと変わらずのたっちゃんでさ。彩希さんが話してたけど私はねたっちゃんが強めに言う時の「〇〇なんですけどッ」って言い方が本当に好きなんだ。なんか食い気味でちょいヒステリックな感じで言うんだよね。それが可愛い。大好きは噛みしめるしかなかった。このままずっと見つめていたいそれだけでいい他には何も見えなくなる。夢の中でもあなたが出てきて切なくなる。たっちゃんはにこにこしてた。なーみんは泣きそうになって一瞬顔を顰めるのだけどすぐ笑顔をつくるんだ。それが悲しくて優しかった。なーみんが少しでもたっちゃんの意向に沿おうと泣くまいと、抑えられる筈のない感情を笑みで包もうとするのが。

 

EN

たっちゃんはロープの友情が手つなの中でもいちばんに好きらしい。らしい、というのは1S動画で手つなでいちばん好きな曲をリクエストされた際にロープの友情を歌っていたからだ。意外だった。でも彼女の信念に当てはまる曲なのかもしれない。自分だけが利を得ることは絶対にしない、打算で動かない。そういう選択をするくらいなら義に死す。人として正しい行いをして、有限である人生をよりよく生きようとする。まだ若く青いからこそなのかもしれないけれど、腐った果実であるほうが容易な場所でそれを貫こうとするのはすごいことだ。思えば、彼女は不健康なものを迎合しなかった。それが表現のためであっても。たっちゃんのダンスは大きい動きの全力ダンスだ。48Gの中学生メンバーはこのタイプの踊り方をするひとが多い。アドレナリンがどうかしちゃったのかと思うくらいすんごい動きを繰り出すから見てて楽しいやつだね。このタイプの踊りをする中学生は大抵声が大きくて元気だしよく駆け回る。でもたっちゃんがあの踊り方をしていたのは元気だからってだけじゃない気がして。彼女のダンスはどこか竹を割ったようなこざっぱりとした印象があった。不健康なものを迎合しないと言い切ると語弊がありそうだから、不健康な解釈はしていないようだったと言い直すね。そこに彼女の意思が介在したのかわからないし、私がただそういうように思い込んでいるというだけだから。事実であっても、またそうでなくとも、人からそう捉えられるような真っ直ぐなひとだったのだと思って読んでもらえたら。innocenceやJK眠り姫はそれが顕著に表れているように私は受け取れた。innocenceってみんなそういうものに照らされた顔をするじゃない。少し目を細め不敵に微笑んで。でもたっちゃんは平生とあまり変わらぬ動きと表情でいる。それにアッパーとダウナーを同時になキメたような、ハイに向かいながらダルさの中にいるような狭間感とどこかセクシャルな雰囲気のあるJK眠り姫でも快活に踊ってる。それがちょっと不思議だったんだ。表現し得る力も感性も人より秀でているのに何でだろうって。だからこそだったのかもしれない。人としての在り方に敏感で思案してきたのかもしれない。倫理観が高すぎるんだ。そう実感した出来事があって、この卒業公演の日の午前中にSHOWROOMをしてたんだ。私はちょうど手紙をしたためいて見れなかったから後日アーカイブで確認したのだけれど。芸能人にはよくある荒らしコメントがあったみたいなんだ。たっちゃんは悪い癖でそういうものを目にして沈黙することができないのだと前置きして、毅然とした口調で話し始めた。語尾が強くなってて静かにキレてた。そして最後に「1回しかない人生なのにそんなことをして楽しい筈がないよ」と言ったんだ。我慢ならなくて物申し始めたのはああ若いなと思ったのだけれど、その一言に青いでは片付けられないなと思ったんだ。中学生って変な時期だ。確固たる道徳心を持ちながら安々と狂乱に身を任せられる。たっちゃんだって人としての在り方を真剣に考えながら、楽屋で下着姿で駆け回ったり大声で歌い回ったりもしてる。なんだか台風クラブを思い出す。中学生が下着姿で踊るんだ。初めに見た時はこのシーンが本当に無理だった。彼らを取り巻く諸問題を忘れようとするように体育館で踊りながら服を脱いでいく様子はモラルが退廃していく瞬間を見ているようで吐き気さえ覚えた記憶がある。雨の中下着で踊ってる場面はもう。

ボールを投げている少年、三上くん。彼も人としての在り方を真剣に考え、軽薄なものを嫌っていた。このシーンの前に担任の梅宮と電話していたんだ。若き日の理想を失った男だ。教師だけどやくざ者とつるみ女にだらしなく酒に酔ってる。生徒のことも半ばどうでもいい。「先生、僕は一度あなたと真剣に話してみたかった。あなたは悪い人じゃないけれど。でももう終わりだと思います。僕はあなたを認めません!一方的すぎるかもしれないけれども」「何言ってんだ馬鹿野郎。俺はなぁ…酔っ払ってるかもしれないけどよく聞こえてんだぞ。いいか、いいか若造。お前はなぁ、今どんなに偉いか知らんがなあ…15年も経ちゃあ今の俺になんだよ、えっ?あと15年の命なんだよぉ…覚悟しておけよ」「僕は絶対あなたにはならない。…絶対に」というやり取りがあった後だった。だからケンが俺たちも酒ほしいなと言うのも、あの三上くんも皆んなと同じように下着姿で踊るのも分からなかった。 しかし今はなんだろうわかるな。これが人間の姿だって。悲しいくらいに。このシーンが一番美しいすら今では思う。中学生というのは人間であることの真実を包括している。我々は善も悪も克服することができない。本当は胎児のように守られていたくて自分と世界との不和になんて目も向けたくなくてどうにもならなくてふしだらになっていく。それでも軽薄にならぬ道を歩もうとする人が一定数いる。たっちゃんもそんな人なんだと思う。そういえば栄のD3ゆうゆも2じゃないよでたっちゃんのようなことを言っていたね。年上やぞ年上やぞと言ってくるディレクターに対して、年上だと言って子供を脅す(怖がらせて楽しむ)のは人生損してると思いますとはっきり反論していた。中学生の正しさと高校生の正しさは違う。道徳的正しさとは即ち直観で、中学生の正しさとは直観そのものだ。高校生になるとなぜだか直観は少し薄れてエビデンスに依るようになる。最近つくづく感じるのだけれど人間とその生き方に興味があるのなら中学生から学ぶことは山のようにある。

 

これたっちゃんが読んだら全然違いますけどッ!って言われちゃいそうだな。こじつけっぽくなってきちゃったけど、たっちゃんの全部が好きだったってことを繰り返し言いたいんだ。にしても伝えるのがへたくそだね。手つなの話に戻るけどロープの友情は死地の曲だから音も強く激しくて、観客の方もおかしいぐらいガン上がりする。そしてロープの友情で上がりまくったギアを軽々超えていく火夜水朝。いつも思うけど手つなのENブッ飛ばしすぎてて頭おかしい。頭おかしいくらい高まって訳わかんないことになる。不健康なものに染まろうとしないその姿勢が好きなのだと言いつつ、私はどちらかといえば不道徳で不健全な詩の曲が好きだ。だから手つなで一番好きなのは火曜日の夜、水曜日の朝。どの瞬間もピークだったのだけれど、格別に美しい動きに心奪われた瞬間があった。体をひねるときの曲線がしなやかで本当に言葉にできないくらいの美しい流形だった。なんていうかたっちゃんぽくないとも思った。イメージではうおりゃってやってそうなのに。2018年のAKB劇場公演出演回数最多メンバーに輝きインタビューされた際に、自分はただ全力だから彩希さんのように細部まで丁寧な踊りがしたいと話していたのを思い出した。こうやって丁寧さとパワフルさのハイブリッドパフォーマンスが確立されていく筈だったのだと思うともう。本当に美しかったのにオンデマで見返したらそうでもないように映ってて劇場では自分の目しか頼れないなとなった。見た時の角度もあるからね。火夜水朝終わりのかなたっちゃんの顔が赤く茹であがっててあの感じ見たの久しぶりな感じする。でもその赤い顔はこの公演が終わりに近づいてることも意味してた。

「今日は田屋ちゃんにとって最後の劇場公演です。今日の公演がこの先の田屋ちゃんの人生の中でずっと思い出に残る公演になれたらいいなって思います。そして今日ここに観に来てくださった皆さんも今日の公演を忘れないでください。私達も絶対忘れません。次の曲は皆さんのことを想って歌いたいと思います。それでは聴いてください。遠くにいても」

 

春めいたそよ風の中 君は隣でバスを待つ

夢だけを鞄に詰めて 今 旅に出る

新しい時刻表で

君が選んだ 遥か輝く道

遠くにいても空は続いてる

生まれた街と繋がっている

雲と心はいつでも自由に行ったり来たり

遠くにいても空は続いてる

同じ時間が流れている

今日は別れを告げても僕たちはそばにいる

 

すすり泣く声が周りから聞こえてくる。私も顔を歪めてた。鼻がツンとする。もう二度と会えないのだ、どう生きているのか知ることは叶わないのだとそう思った。空は繋がっていても変わることが多すぎるよ。市野さんの卒業公演で江籠さんが言っていたことがふと頭に浮かんだ。あの時江籠さんは卒業しても関係性は変わらないという言葉が辛いのだと話してた。関係性は変わらなくとも、環境は変わる。これまでのように一緒にいられないと泣きながら。竹馬の友のような二人における言葉だとは重々理解しているけれど似たようなことを思ったんだ。たっちゃんへの想いは変わらないけれど、環境は変わる。劇場に立つ姿は見れなくなる。空は続いていてもその下にあるのは彷徨ってる空虚な自分だけな気がしてきてしまった。そうではないよと歌ってる曲なのに。途中から顔面の右半分が痙攣し始めた。心に負荷がかかりすぎたっぽい。でもね"君が今眩しいのは強い意志の光"でハッとした。卒業発表してからこの日までのたっちゃんの姿勢、立ち居振る舞い。本当にきちんとした人だった。ピアノの伴奏が卒業式を思い出させる。悲しさを粛々と受け止めながらじっと見てることしかできなかった。

 

卒業パート

何の曲をやるかはわかっていた。それでも明転し16期が並んでいる姿が見えると心が躍る。たっちゃんセンターの抱きつこうか? 。最後に入ったレツゴーぶりに16期コールして、ステージの上でみんな泣き出して。その真ん中に笑顔のたっちゃんがいて。あの日が戻ってきたみたいだった。衣装も卒業公演用の特別仕様になってて素敵だった。16えんぴch!の黄色衣装だね。色鉛筆の髪飾りはティアラに、襟には金のラインがあしらわれ、リボンはジャボに、スカートは黄色のギンガム生地をプラスしてフィッシュテールになっていた。ほんとオサレカンパニーは"この世界であなたのためだけに存在する特別な衣装"を作る天才だ。抱きつこうか?は高校生が夏の間1ヶ月だけのバイトで出会った先輩についての歌なんだ。優しい先輩が多くて楽しいのだけれど1人だけぶっきらぼうで怖いなと感じる人がいて。でもそのままあっという間に夏は終わってしまう。今日で去るという日に、その先輩にもお世話になりましたと言いに行くと柄にもない一言を掛けられるんだ。気の利いた言葉でもなく相変わらずぶっきらぼうだけど好意の滲んだね。明日からもう会えないというのに意識してしまって好きって気持ちが芽生えてしまって…という話だ。もしかして好きなのか 自分でも気づかなかったけど もう会えないと思ったら胸がキュンとしてきた、って16期が歌ってる姿を見たら…こんな小鳥が軽やかに跳ねるような可愛らしい曲なのにこの日ほど重さを感じたことはなかった。こんなに限りない重さがのしかかることなかった。明日からもう会えないと思ったら、どうしたらいいのか私にはわからないよ。あっという間に曲が終わってしまった。たっちゃんは嬉しそうに明るい顔でピースしてた。16期みんなの顔を見回して、泣いて悲しく切なくてどうしていいのかわからなくて張り付いた表情をしている様子にプッと噴きだすんだ。周りがみな泣き卒業するその人は笑っている光景というのはよく見るけれど、そんな風に思い出の曲でも笑顔だったたっちゃんがサプライズで渡された花束と色紙に瞬く間に泣いてしまったのがあまりに切なくて悲しくて。ずんちゃんのおめでとう卒業の声はとびきりの愛が込められていた。そのあとの卒業のスピーチは簡潔にしっかりとした内容で彼女らしかった。…最後の曲について話す前に最後の曲が終わった挨拶前のやり取りについて話すね。

 

必要のないことは話さないし嘘はつかない。もうやり残したことはないですか?という彩希さんの問いにたっちゃんは暫し思案し言葉に詰まった。この卒業公演ではやり残したことはなかったかもしれない。けれど問いかけられ彼女が考えたのは、これまでの2年半とこれから続いたかもしれない何年間で。だからどこか歯切れの悪い反応だった。でも口をきゅっと結び大丈夫です!と強く答えた。…去年は劇場公演出演回数最多だったしね。シアターの女神と名高いゆいりーさんの5連覇を阻んだすごい記録だった。前述したように全力ダンスからゆいりーさんのように丁寧な踊りをしていきたいとも語っていたし、卒業発表の何日か前まで4月以降の握手会の宣伝もしていた。人を騙くらかすようなことをするひとではない。卒業が本意ではないことは自明だった。新潟の件が絡んでいると邪推してしまうくらいには。未成年で中学生だから両親の意向でとは十分ありえる話だ。でも私はホッとしたような気もするんだ。たっちゃんのご両親が至極真っ当な方で至極真っ当な判断をし実行したことに。まともでいるには捨てるしかなく、まともなままではまともでいられないし、まともなら離れる。そういう場所だとそれは前から思っていたことではあった。卒業には諸々の事情や葛藤があったのだろうけれど、彼女はネガティブなことも不平も弁解も口にしなかった。そう心掛けているようだった。ただ今この瞬間しかない公演を全力で楽しんでいた。それがすごくすごくかっこよくて、すごくすごく大人だと思った。普通ならやけでも起こしそうだ。どう考えても彼女がいちばん卒業したくない筈なのに自分の意思として遂行しなきゃならない。大声で叫びたくもなる。でもそんな気持ちでいるより、限られているのならその時間を精一杯に生きるってそういう選択ができることがすごいし、たっちゃんはずっと筋を通してきたんだ。だからSR配信でああ発言したんだろう。1回しかない人生なのにそんなことして楽しい筈がないよと。低きに流れ、そうである方が容易な方へ身を任せて暴慢に自棄に生きて。彼女がアイドルであることを望んだ日、望み続ける日々、その1日を中学生への中傷に費やす人間を見て何を思ったのかということだよね。たっちゃんは泣かないというのも決めていた。暗い顔はしたくない見せたくないと強く決意していたようだった。泣いてしまったら押し寄せる愛着にどうにかつけた踏ん切りが崩れてしまうというのもあるかもしれないれど。これからの人生を歩むために、そして私達の心も汲んで全力で駆け抜ける姿は本当に14歳なのかと疑いたくなる。もうヒーローだった。

 

きっと最後の曲は365日の紙飛行機だろう。彼女は山本彩さんをとても尊敬していて、同じ色のギターを買ったり、リクアワ裏配信で会えた時には嬉しくて号泣したり。彩さんと同じ誕生日なのだと自慢げに話すのを何度聞いたことだろう。

 

私にとってはこの曲が劇場公演最後の曲になります。

それでは聴いてください_____10年桜

 

劇場がどよめいた。私は個人的にこの曲があまり好きでないというか、皆のいうような良さは今まで感じられないでいた。それが一夜で全て変わってしまった。前にいるその人が、本意でない早すぎる卒業をする人が卒業はプロセスさ再会の誓いと歌うんだよ。10年後にまた会おうって。すぐに燃え尽きる恋よりずっと愛しい君でいて、でもうだめだった。そのままたっちゃんについてだったから。一節一節が大切で大事で、彼女の言葉であり私たちの言葉だった。今日という日を忘れないと何度誓いを立てたか。10年後に会えるかなんてそれが難しいことなんてわかってる。それでも彼女の口から10年後にまた会おうと発せられたのだ。永遠の先に心を馳せるには十分だった。10年桜は永遠の先。叶っても叶わなくてもその言葉があれば十分だった。

 

たっちゃんの卒業でいろんな曲が特別に意味を持つようになってしまった。10年桜もそうだけどジワるDAYSも、365日の紙飛行機も、君はペガサスも、僕だけのValueも。というより卒業公演から1ヶ月ぐらいどの曲を聴いてもたっちゃんを思い出してしまいずっと感傷に浸ってめそめそしてた。それまでジワるDAYSは可愛がってた指原さんの卒業シングルなのにいつも宛名書きする秋元先生には珍しく抽象的な歌詞だなと思うに留まっていた。でもメロディーは好きだからたまには聴いたり。本当はジワるDAYSに切実さなんて感じたくなかったよ、特別に感じたくなんてなかった。けどたっちゃんの卒業発表があってからそうなってしまった。いつもチクリと刺される歌詞があるんだ。"桜の花が散ったって他人事でしかなかった" 誰かの卒業も、そしてその卒業を嘆き悲しむ人の心も、いつか自分にも降りかかることなのだと考えることさえしなかった。他人事だったんだ。卒業に悲しむこと自体は当然あった。ただ、たっちゃんを思うほどの強さではなかった。特別に好きだった人がこうしていなくなるとこの曲でボロボロになってしまう。ホントは今でもそばにいてほしいよと泣きつきたくなる。でもあんな前向きな姿勢で生きている人を引き止められる筈がないんだ。たっちゃんはお見送りでも必ず1人の人と2回顔を合わせていた。警備員さんが前に立ってるからその手前で1回、その後ろで1回。みんなにそうしてた。優しい人だよね。私は結局何も言葉を発せなかった。でも目に全部感情が滲んでいた。自分で自覚するくらいには。たっちゃんはその目の温度もわかってくれた顔をした。勝手な妄想じゃんと思った?でも本当にそうだったんだ。そういう表情をしていた。それがずっと忘れられない。

 

卒業が機となって彼女の色々な側面を見たけれど、つくつぐ私はたっちゃんのことを何も知らなかったのだと実感した。元気だけどシャイな東京の女の子で、大声を出すのが得意、楽屋では走り回って歌うことが大好きで気持ちのよい全力ダンス、MCではお肉か犬の話をしがちな可愛い可愛い16期の末っ子たっちゃん。それが私の中のたっちゃんだった。でも私の思う何百倍も何千倍も大人だったし聡い人だった。落ち着き払って毅然と自分の意見を述べるところだって知らなかった。指ハート頻繁にしたりファイティンって言われてたりいかにも中学生のノリで韓国好きっぽいのも知らなかった。でもね活動最終日のSR配信は私の知ってるたっちゃんばっかだった。歌ってぼりぼりとじゃがりこを食べ、帰りの飛行機で寝ないで人狼してたら今になって眠くなってきて喋らないと寝そうだからって早口言葉みたいにとりとめない名前や名詞を繰り返し言ってみたり、コメントでわからない言葉があったら今近くに辞書あるんだ!と引いてみたり。いぇいいぇい美味しい〜♪と突然麦茶のCMつくり始めたり。中学生だから20時までしか配信できないんだけど7時ちょい前にお腹すいたからご飯食べてくるねと一度配信を切ったり。晩御飯から帰ってきてからはずっとカラオケ機能で歌ってた。虫のバラード、チーム坂、家出の夜、365日の紙飛行機、抱きつこうか?。歌い終わって壇上やタワーを読み上げたら時間はもう30秒しかなかった。じゃあ手振っとくねといつもの顔で溌剌とバイバイと言ってるからこれが本当に最後だって気はしなかった。けどもう明日からアイドルではないし劇場で踊る姿が見れない。それが信じ難くて、実際その日が来たらもう駄目で、あれから刺青をするようにオンデマを何度も何度も見た。だから手つなの定点なら他の人の上からたっちゃんの踊りをリアルタイムで上書きして見れる。それくらい見込んだ。でもそれは時間の止まったずっと変わらない踊りだ。本当のたっちゃんはこれからどんどん踊り方も表現も変わっていっただろう。こんなことできたって、したって意味なんかないんだ。最低だよ。上書きするメンバーにも失礼だし。それで手つな見てて思ったんだ。4には彩希さんも奈々さんもなぎ太郎君もなーみんも妃星さんも濵ちゃんもみゆぽんさんも七海さんもはーちゃんも香織ちゃんもずっきーもまきちゃんもさややさんも薫君も京加ちゃんも吉橋もいる。いっぱいいっぱいすごい人がいる。今は村山チーム4を見ていくことがたっちゃんとの唯一の繋がりに感じられて。これからどう過ごせばいいのかわからないけど、それでもどうにかして過ごすことになるんだから。そうやって永遠の先を想っててもいいよね。

 

(卒公と彼女が全力で楽しんでいた3月30日の動画です。同期が7人も出演していて同期とたっちゃんとの表情が対照的な公演です。ジワるDAYSの披露も。暫くしたら消すと思うので是非観てください)

youtu.be

 

 

 

君がいないのは寂しいけど

Someday いつの日にか会おう