好きなら好きなだけ遠いよ

ぶつくさと独り言

舞台「ロミオ&ジュリエット」謎感想文

 

「天使のような微笑みを浮かべながら俺たちを騙していたんだな!!」受け入れ難いことが起こると人はすぐ騙されただとか裏切られたと憤慨し出す。その姿に疑問を抱くことがしばしばある。そして幼き頃の私のバイブル『十二国記』の中にこんな台詞があった。

"裏切られたっていいんだ。裏切られたって、裏切った奴が卑怯になるだけだ。私は死なない。卑怯者にもならない。善意でなければ信じられないか。相手が優しくしてくれなければ優しくしてはいけないのか。そうではないだろう。私が相手を信じることと相手が私を裏切ることとは何の関係もなかったんだ。そうだ、私は独りだ。だから私のことは私が決める。私は誰も優しくしてくれなくても、どんなに裏切られたって、誰も信じない卑怯者にはならない。世界も他人も関係ない。私は優しくしたいからするんだ。信じたいから信じるんだ!!"

幼い心に陽子のこの言葉は深く刻まれた。私だって裏切られたら悲しく思う。でもそれは裏切られた我が身を嘆いてではなく、裏切った彼の人が卑しくなってしまうことが悲しいんだ。それに裏切られたという思考に至ることがあまりない。前々からおかしいと思っていたんだ。自分によくしてくれる人でないと好感を持てず無条件にあの人はいい人だと言ったり、自分を嫌っている人をあいつは悪いやつだと貶したり。相手が自分にどうしてくれるか、行為で全部決めてる。そんなの当たり前のことだろうと言われればそうだけれど、何かおかしくないか?打算的じゃないか?舞台から少々飛躍してしまったけれどベンヴォーリオの言葉にそんな事を思ってしまった。それにロミオは仲間を裏切った訳ではなかった。自らの心と直感と運命に従った。だけれどもモンタギューの若者は憤る。彼らは子どものように純粋なロミオを愛し認め尊んでいるけれど、彼が自分達とはどこか違う存在であることを悟っている。それがモンタギューの次期当主ということに起因しないことも。ロミオは仲間を大切に思い彼らのことが好きだけれど、何にも縛られず一人でいる時間も好む。一方で、"みんなで"ということにこだわる側面もある。「お前は世界の王になる」「いや俺たちがだろ」彼が遠い存在になってしまうことを予期しながら足並みを揃えてただ日々を楽しむことでいつか来る日を忘れようとしていたように感じた。尽きない憎しみ合いに、まるで意味のない対立に疑念を抱きながらも逃れたいと望みながらもその構造から若者達は抜け出せない。彼らは憎しみの種を植え付けられたことに怒りと悲しみを覚えている。それなのに憎しみを抑えられず戦うことをやめられない自らに絶望している。そこにあのロミオが密かにキャピュレット家の娘と結婚したと聞いて詰め寄ったのだろうな。やはり俺たちを置いて行ってしまうのかという寂しさとただ一人この呪縛から逃れるというのかという怨めしい心。本当になぜ両家はこんなにも憎しみ合っているのか。

 

女たちは憎しみを憎んでいる。その蛇のように蠢めく黒い憎しみの炎を。一族に生まれた子供が最初に覚える言葉は憎しみだと。また蛇だ。私たちはいつから腹の中に蛇を住まわせるのか。夫人らが憎しみを強く非難するのは彼女達は一族の人間ではあるが、一族の血を引かないからだ。端から見ればこの憎しみの連鎖は狂っているとしか言いようがない。争いを禁じるも抗争は留まるところを知らず、ヴェローナ大公の「私は狂人達を治める大公か!それとも野蛮人達の番人か!」という台詞が印象的だった。法でも彼らを駆り立てる憎しみを止められない。心の底では否定し不満を感じているのに血に抗えず悪しき因襲に従うことしかできない人々。その血には毒が流れていると大公は嘆する。なぜかその言葉に私の背筋が冷たくなるのを感じた。私の血にも毒が流れている。ニーチェの言葉を拝借させてもらう。

"おまえ自身の血管のなかに、腐って泡を立てている沼の血が流れているのではないか。だからおまえは醜くカエルの鳴き声をあげ、誹謗ばかりしているのだ。"

モンタギュー,キャピュレット両家の確執とその憎しみが未だ理解できずにいるけれど、憎しみに突き動かされ盲目的に争う彼らを愚かしいと思う私も彼らと大した違いはなく等しく愚かで醜い存在なのだと、乃木坂への想いももう汚れてしまったと観劇しながら頭の片隅でそんなことを考えていた。

 

この舞台の中で一番好きな登場人物はティボルトだ。ああティボルト哀しき男。幼い頃はドラゴンを倒し囚われのお姫様を救うことを夢見ていたというのに、今のこの男は植えつけられた憎しみに心を支配され自分ではもうどうにもできなくなっている。それでも葛藤して本当の俺はこんなんじゃないんだと言う。大人に仕向けられたんだ。復讐の手先にされたんだ。子供の頃にはもう帰れない、と。そんな中で心のオアシスがいとこであり想い人のジュリエットだった。ここまでの感じだとこの男は一族の無益な争いの可哀想な犠牲者のように思えるけれど、定かではないといえこいつは想い人の母親つまり実の伯母と関係を持っているんだ。他にも数々の女達と寝てきている。叶わない恋路に想いを募らせるあまり次第に鬱屈とした恋情となってしまっている。そうだねあんたは子供には戻れない。それでもジュリエットの前では全てを隠し勇敢で頼もしい従兄弟でいる。柔らかな慈しむような視線でジュリエットを見つめている。パリス伯爵を退けたと思ったら、そんな彼女がぽっと出の男と、事もあろうかモンタギュー家の跡取りロミオと結婚したというのだから猛り狂うのも当然だろう。ただ、彼は葛藤していた胸の奥の良心もマキューシオと一緒に刺してしまった。ハハハハと声高に笑うティボルト。彼にはもう救いは訪れない。鷹揚なロミオも恐れていたことが現実になり親しき友を失い、その心は憎しみと怒りに支配されてしまった。その結果ティボルトはナイフで刺されて死んでしまう。勇敢と讃えらたキャピュレットの男の最期はあまりに呆気なくあまりに滑稽だった。ティボルトはどこまでも不憫で哀しくそれでいて色気のある男だった。私はこういう男に弱いのだ。

 

ベンヴォーリオが天使の微笑みと言っていたように、ロミオは天使としか形容のしようがない人物だった。過去にとある番組で大野拓朗さんの情けない姿を目撃していた私は「ケッ大野拓朗か、こいつがロミオで生田さんと…」とゴゴゴゴゴゴと背後に効果音が見えるくらいに憤っていた。というより不満タラタラだった。だからようやく取れた公演日のロミオ役が彼だった時は自分がヒステリックにならないかおそれていたけれどそんなものは無用の心配だった。大野ロミオは天使です。軟弱と切り捨ててしまえばそれまでかもしれないけれど、それ以上の何かが確かにあった。モンタギューの若者達の中でも彼だけはまごうことなき気品を纏っていたし、なによりピュアすぎる。天使。天使なんだよ。天使。なんだかもう中盤にはあのウェーブのかかった髪型まで可愛らしく見えてきて、ああ可愛いなってずっと思ってた。そんなロミオが顔を歪め慄きながら歌う『僕は怖い』は無邪気な彼が笑顔の奥に隠している憂懼がひしひしと伝わってきて圧巻だった。 "僕は怖い 隠さず言おう死ぬのが怖い 僕らの背中にそっと忍び寄る影 僕は怖い 僕は怖い 明日突然友達が消えて 世界が闇に閉ざされたら" 死の臭いに敏感な彼が死に対して底知れぬ恐怖を感じていることがこれでもかと伝わってくる。古川さんのロミオやそれ以前のロミオを拝見していないから断言はできないけれど、大野さんのこの演技は誰よりも上手いと思うなあ。お前誰だよって感じだね。でも本当にすごかったなあ。ロミオは全体的に夢見る乙女のようで、もうなんだか見守っていたいという感情しかなかった。まだ見ぬ恋人を待っているとか、僕はロミオじゃない恋人って呼んでとかさ、もうね可愛いんだ。だからこそ彼が友を失った憎しみと怒りでティボルトを刺し殺したことがにわかに信じがたかった。彼だけが他とは違って天使のような聖人君子だとそう思い込んでいたから、青年によくある逆上して間違いを犯すなんてことが起こるなんて。ロミオの友に対する執着ともいえるほどの強い想い。一瞬だけれど燃え上がった黒い炎になんだか怖くなってしまった。あの天使のようなロミオでさえもこうなってしまうのかと。

 

様々な場面ですぐに涙ぐんでしまったけれど、キャピュレット卿の娘への愛にぽろぽろと泣いてしまった。自分の娘でないと気づき殺してやろうと細い首に手をかけた時、幼いジュリエットは無邪気に微笑んだ。血は繋がっていなくとも愛している。という話に号泣していた。享楽に明け暮れる強欲な当主かと思いきや、その慈しみの心があるのならばキャピュレット卿あなたはなんだってやり直せるさ正せるさ。パリス伯との結婚を推し進めようとするのも家の為というより娘には苦労してほしくないからなんだろうな。たとえ愛のためにでも茨の道は進んでほしくないのだな。娘を想うのならロミオとの結婚を認めてあげてよ。もうね若きロミオとジュリエットを慈しみ尊んでいる周囲の人々の愛情に涙してしまうのだ。乳母の愛も神父の祈りも然り。けれども、その全てが最後には嘆きに変わってしまうのだ。

 

登場した瞬間に舞台の上が一気に華やいだようになってああこんな人が本当にいるのか、例えなんかじゃなくて本当に眩い光を放っていてキラキラしている。化粧をしているとはいえ透き通るような白い肌に、その顔つきは純真無垢で快活な少女のものであるし、はにかんだような笑みを浮かべて皆の視線を集めている。ジュリエット。生田絵梨花さん。舞台を観に来ているのだから役柄で拝見せねば失礼だという念はあれども、みんな見ているか!我らの生田絵梨花さんだぞ!と言い触らしたくなるくらいなんだか誇らしく嬉しくなった。まだ姿を現しただけだというのに。生田絵梨花はそこにはおらずジュリエットがいた、なんて私は言わない。ジュリエットを見ていたし、生田さんを見ていた。完全に乖離させるのは当たり前に無理だった。一番に頬がほころんでしまったのはウェディングドレスの鏡合わせのシーンだった。胸にドレスを当てて体を右にしたり左にしたりとても楽しそうにするから、肩にかけた上着の袖がブンブンと揺れて、子供のような仕草が何よりも愛らしかった。微笑ましかった。年相応の無邪気さを見せるこの子が間も無く命を絶ってしまうのかと、結末を知る私はいや私だけでなく多くの観客たちがこの時既に心を痛めていたに違いない。彼女が楽しそうにしていればしているほど、最期の瞬間の訪れを予感してしまうし、序盤から生田さんのジュリエットが視界に映るたびに悲しくなってしまった。やめてくれ、やめてくれ、どうかこの若き二人の幸せを奪わないでくれと。二人の愛はとても深いものであるだろうに、それでもどこか小鳥が戯れ合っているような可愛らしさと微笑ましさ、軽忽さや不毛さを感じずにはいられないのは私がもう純粋ではなくなってしまったからなのか。母であるより女であるキャピュレット夫人とは対照的に、我が子のように深い愛を注ぎ幸せを願った乳母に感情移入してしまうしまうのが人間か。でもその乳母も一度パリス伯と結婚した方がよいのかもしれないとジュリエットに申し入れているんだよな。愛に生きてほしいと思う一方で修羅の道にはどうしたって踏み入れてほしくはないだろうにやはり愛するジュリエットのために使いに走るのだ。シルビアさんの歌は圧巻で聴いていて小気味よく体に響くようだった。この歌声を聴いてしまうとなんだか生田さんがか細く思えてきてしまうな。舞台にほとんど足を運んだことがないからどの方が歌ってもすごいすごいと感動してしまっていた。私は良し悪しがわからないためになんでも楽しめるのだと思う。それが良いのか悪いのかもわからないけれど。『エメ』はMUSIC FAIR で歌っていたのを聴いていたからあの曲だとスーッと耳にも心にも入ってきた。舞台が終わり実家へ帰る車の中でエーメー 君だけを〜 エーメー 愛している〜♪とずっと歌っていたのは秘密。あと思っていたのだけれど、"その名はロミオ どうしてロミオなの"と歌う場面があったでしょう。希望に満ち溢れすぎていて家に対する恨めしさや不遇の状況、困難な愛というのがあまり感じられなかったんだよな。私の中では、というか中学生の頃に読んだっきりのシェイクスピアロミオとジュリエット、いやただのイメージだな、それが「おおロミオ、あなたはどうしてロミオなの」というものだったから違和感がかなりあった。浮ついているなと。なのに一歩ふたりが手を繋ぎ愛のもとへ歩いていこうとすると、とてつもない重さを背負う。運命が彼らの足に絡みついていく。どうしてこんなことになってしまうのだろうと悲しめども彼らの行き着く場所はここ以外なかったような気もする。彼らを取り巻く死はあまりにも耽美であった。それでいて言いようの無い不気味さを覚える。心臓を逆撫でされているようなとても嫌な感じだ。本能的に近づくべきではないとわかる。その足取りは重いようで軽やかで、今見えている舞台の景色にまた別の次元の世界が重なっていてそこを歩いているような不可思議な感覚に囚われる。精霊の守り人でいうところのナユグだ。ただあれは「死」なのか。嘗め回すようにこちらを窺い、不穏な空気と共に静かに足音も立てず近づいてくる。身の毛もよだつあの佇まい。一切を超越したような厳粛で免れることのできない定め。あれは「宿命」だったのかもしれない。ロミオが服毒しジュリエットが己を短剣で刺し絶命したあの瞬間「宿命」は十字架にキリストと同じく磔になり血のような真紅に照らされた。そして暗転。宿命が果たされたのだ。ふたりは生まれるより前にこうなる運命だった。両家が憎しみを捨て去りその血に流れる毒を清めるための礎だったのだ。天使のようなロミオと天使のようなジュリエット。ふたりは神からの使いであったと信じたい。ロレンス神父の祈りは届いていたのだ。

 

ああそれで、今回は母とふたりで観劇したんだ。チケット代は出すから何か観たい舞台があるのなら一緒に行こうと誘われていて、ちゃっかりロミジュリにしたんだ。母は私がアイドルを乃木坂を好きだということにあまり肯定的でなくて理解を得られていなかったからちょっとでも好転しないかと少しばかりの期待を込めて。そうしたらママンったら観終わった後は語彙力を失ったように「生田絵梨花ちゃん華があるよね、輝いている。そこにいるだけでオーラがあって流石芸能人って感じ。そして可愛いわ」しか言わないものだから成功したのだろうか。ただ、乃木坂の彼女たちの虜になった人間というのは歳も性別も関係なく皆こんな風になるのかと少し怖くなった。ああ、でも言わせてほしい。生田絵梨花さんは可愛い!私は彼女にルサンチマンを抱いておりあまり好きでなかったしあまり見ていたくもなかったし苦い感情しか持ち合わせていなかった。それなのに舞台上の彼女の途方もない陽のオーラにそんなこと完全に忘れていた。ただただ魅入っていた。バルコニーにかける細腕が目に入った。そこからツーっと視線を下げて手の甲、掌を見る。きれいな指だと思った。自分がこの美しい手に触れることができるのだとはにわかに信じ難かった。観客席から遠く遠く手の届かない舞台に立ち輝きを放つこの人の手を取り言葉を交わせるなんて夢以外じゃありえない。それが現実に起こり得りさらには微笑みかけてくれるというのだからアイドルでいてくれることは奇跡であるし、貴い存在であるし、大袈裟でなくこの時代この世界に生まれたことに感謝したくなる。…と言いつつもまだ生田さんの握手には行ったことがない。多分これからもないのだろう。彼女の眼前に晒されることを考えると自分がひどく惨めに思えてきて羞恥を覚える。何もそれは彼女に限ったことではない。アイドルとの握手は全てそうだ。この美しき人の視界に自分は入ってはいけない入ることは許されないと思うし、この卑しき両の目で見つめてはいけないと思う。それなのに恥知らずの私はこれまで何度か足を運んでいるのだから笑える話だ。

 

大野拓朗さんに対しての確執はきれいさっぱりなくなったけれど最後にひとつ言わせてくれ。生田さんに優しく髪を撫でてもらえるなんて羨ましいんだよ、ロミオ君。ジェラシーだよ、ロミオ君。あと関係ないけどマーキューシオのこと最初大嫌いだったのに死ぬ直前のあのしおらしい様子見てしまってからめちゃ好きになってしまったんだけど。あの場面で殺されてしまったマーキューシオとティボルトが大好きすぎるんだけど。ふたりとも可愛すぎるんだけど。というよりこの公演に出ていた人みんな好きになってしまったんだけれど。舞台っていいものだね。乃木坂とか関係なく観劇はしていきたいななんて思った。チャオ。

2月11日(土) 17:30〜
ロミオ:大野拓朗
ジュリエット:生田絵梨花
ベンヴォーリオ:馬場徹
マーキューシオ:平間壮一
ティボルト:渡辺大
死:宮尾俊太郎