好きなら好きなだけ遠いよ

ぶつくさと独り言

何者にもなれなかった私

「きっと何者にもなれないお前たちに告ぐ」

私の大好きなアニメ『輪るピングドラム』で多用されていた台詞だ。訳のわからぬ空間で訳のわからぬ人物が訳のわからぬことを言うシーンなんだけど、その訳のわからなさに頭をガツンとやられるんだ。ピンドラを観始めた当時高校2年生の私はよくわからないクリエイティビティを持っていて、自己を過大評価していたし、きっと何者かになれると信じていた。だからこの台詞を笑い飛ばせていた。けれど、今はどうだ、純然たる事実として私に重くのしかかってくる。

 

先日、といってももう3ヶ月ほど前のことになるが、高校の友人コバさんと遊んだ。代官山の蔦屋に行くことになって、かれこれ2時間半は滞在してたんじゃないかな。私はその1週間ぐらい前にも訪れていたからちょびっとだけ退屈になっちゃってウロウロしてたんだけど、美術手帖が目に入って立ち止まった。美術手帖ってなんか少し格式高いイメージがあって買ったことがなかったんだけど、9月号は#photographと銘打ち最近のデジタル写真事情を取り上げているようで思わず手に取った。ページをめくっていくと新進気鋭の写真家として小林健太氏のインタビュー記事があった。あ、この人知ってる、渋家の人だ。だけど、読み進めていくとまた知っている名前が出てきた。うろ覚えだがこんな感じの文章だった。"写真を始めるきっかけになったのが渋家の様子を撮っていた写真家の石田祐規で…" 石田祐規。ゆうき/いしだ(写真家)、間髪入れず頭の中でそう変換された。twitterのアカウント名がそれだから。私は石田さんをフォローしているし、こちらもフォローされている。別にそれだけだったら、関連性を見つけて喜べただろうけど、そうもいかなかった。小さな事かもしれないけど、言ったらそんな事かよと笑われそうだけど。

去年の9月だからちょうど1年前のこと、Instagramにあげた写真にコメントがついた。尊敬している女子高校生フォトグラファー山本華さんからだった。"ゆうきさんと〇〇さんが気になるって話していました"  信じられない、心拍数がやばい、でも確かにいいね!されてコメントがついている。こんなに、こんなに、嬉しかった事ない。だって、尊敬している人に、私の写真が気になってるって、そんな風に言われたんだよ。その時はベットにうつ伏せで寝そべっていたんだけど枕に顔を埋めて足を思いっきりバタバタさせた。夕飯の時には、母親にどうしてそんなにやにやしてるの?なんて訊かれてしまった。でね、そのコメントがついた投稿が文化祭の控え室でリカちゃんが緑の風船を持って歩いている写真だったんだ。そう、だから、ずっとお礼が言いたかったんだ、リカちゃんありがとう。

 

で、問題はどうしてこの素晴らしき出来事が私に影を落とすのか?ということだよ。1年前と言ったら高校3年生でしかも9月といったら受験に真っしぐらでしょ。学力に伸び悩んでいたし、もう大学生にはなれないんだと絶望していた。やっぱり好きな写真の道に進んでみる?好きに逃げるの?…当時、専門や好きな道に進む人の事を彼らは学力がないからそこに行くしかない、安らぎに逃げているだけ、快楽主義なのだと思っていた。(こんなに馬鹿馬鹿しく差別的な考えしてたなんて恥ずかしい限りだ) だから、写真をやるっていうのは逃げだと思っていたけど、ある日両親にそれとなく言ってみたんだ。日芸の写真学科も考えていると。カメラの事もよく知らないし、たいしたものが撮れる訳でもないけど写真が好きでやりたいって気持ちは大きかったから。そうしたら、笑って一蹴された。あの父(アマチュアカメラマン)も冗談言うなよと笑ってた。それが一番つらかった。それから一切口に出さなくなった。誰に何を言われようと自分の人生は自分で決められる、決められる自由が与えられているのに、私は人に選択を委ねてしまった。サイレントマジョリティーを聴くとこの時のことを思い出すんだ。"君は君らしく生きていく自由があるんだ 大人たちに支配されるな 初めから そうあきらめてしまったら 僕らは何のために生まれたのか? 夢を見ることは時には孤独にもなるよ 誰もいない道を進むんだ この世界は群れていても始まらない Yesでいいのか? サイレントマジョリティー"責められているような気がするんだ。リスクを取らず安寧の日々に埋没していく自分を。この曲は、呪いのように私を苦しめ縛り付ける。これからは過去の栄光にしがみつき、心の慰みとして写真を撮っていくんだ。期待をかけてくれた人を裏切って凡庸な人生を凡庸な人間として生きていくしかないんだ。とんでもないことをしでかしてしまったと後悔したけれどもう遅い。4年はこの箱に閉じ込められあげく借金を背負わせられる。全部が手遅れだ。


推薦で早々に大学に受かってしまった私は、今まで部活や予備校に行っていたために味わうことのできなかった放課後をエンジョイし始める。と言っても校内で写真を撮るだけだけど。家から父親の一眼レフを2台ほどくすねてきてね。楽しかった。撮った写真をSNSに挙げればみんなが口々に褒めてくれる。のぼせ上がっていたんだな。でも、ある日気がついてしまった。こんなのは情報としての写真に成り下がっているんだと。詳細な情報を搭載させて、これでもう忘れることはないと安堵していたんだ。ばかばかしい。もうみんな大切なものは自分の中には残らず、デジタルな情報として消費していくだけなんだ。そう呟いた私に本を薦めてくれた人がいた。それがヒノハラさんだった。とても大切な本だからタイトルは教えたくない。ヒノハラさんは社会人だけどバンドをしてて映像もやってて写真も撮っている人だった。その本は言うなれば写真についての哲学書であった。他の芸術に比べると写真のことを扱った本は少ない。しかもその殆どが技術についてである。私が知りたいのはそんなことじゃない、写真という概念、その存在についてが知りたいんだ。著者も同様であったようだ。

 

私は「写真」の《存在論》を企てたいという欲求に駆られた。「写真」とは、《それ自体》何であるのか、いかなる本質的特徴によって他の映像の仲間から区別されるのか、私は是が非でも知りたかった。このような欲求をもつということは、結局、「写真」の技術や利用法から引き出せる明白な事実を別にすると、現代における「写真」のすさまじい普及にもかかわらず、私は、「写真」なるものが存在するということ、それが固有の《精髄》をもつということを確信していなかったということである。

 

読んでみてね、やはり自分が撮りたいのは鮮明で高画質なデータとしての写真じゃなくて温度のある空気のある写真が撮りたいと思った。フィルムライクなものをって。こうした表現への志向には、もっとしょうもない理由もあって。あれなんだよ、写真部以外で一眼レフを学校に持ってくる、繰り返しの学生生活を一眼レフで切り取るというのは、それまで私の独占市場であったのに、3年になると皆時間ができるからこぞってバイト代で買ってさ。優越性が侵されるようになった訳ですよ。だからシフトをチェンジして同じ土俵に並ばないようにした。以前と比べて評価してくれなくなったら、本当にこいつらは分かってないんだからとちっぽけな自尊心を守っていた。だけど、やっぱり大勢に凄い!と言ってもらいたからたまには一眼の写真をあげたりして。もうこれは表現なんかじゃなくて承認欲求を満たすための手段として写真を利用していた。自分でもそれに気がついてきて、撮影する回数が次第に減っていくようになった。

 

2月に乃木坂と出会い、3月に高校を卒業し、飛んで8月。ジリジリと太陽が照りつける中、私は渋谷パルコ前にいた。そう7日は渋谷パルコ最後の日。公園通りパレードにライカさんが参加すると聞いて待機していた。弓ライカ。ミスiD2016を受賞した人だ。尊敬している女子高生フォトグラファーに…という話をしたあの華さんら98年生まれで結成されたやべえクリエイター集団の内の一人だった。そんなこんなで勝手にちょっと親近感を持ってしまっていて、これは見なければと思って来てたんだ。今回はミスiD達が縷縷夢兎を着て歩くということだった。この日は確か全ツか何かで乃木坂の彼女達は地方に行っていたから、いつか川後さんに見せようかと思って携帯で撮ろうとしていた。そして彼女達が出てきた。あの天下のミスiDとの距離がわずか1mくらいで何が何だかわからなくなって私は滅茶苦茶に写真を撮っていた。美しい人達だった。…美しいものに対しカメラを向ける、写真を撮ることはそのものの存在を貶める行為だと思っていた。だから携帯のシャッター音が下世話なものに聞こえてすごく苦手だった。形になんて残そうとしないでその目に、記憶に、焼き付ければいい。それに大抵の場合その人達が見ているのは対象よりも画面なんだから。といった信条を掲げていたにも関わらず私はあの日それを踏み躙った。美しい人を貶めてしまった。尊敬する人の友人を貶めてしまった。芸術に対する冒涜だ。乃木坂の彼女達には絶対にしないと決めていた事を、ミスiDの方々には自覚的でありながら、罪悪感を抱きながらも行ってしまった。もう今の時代美しい人は貶められる。暴力的な眼差しを向けられ消費される。クソみたいな世界だ。ミスiDは変わり者が多いと聞くけど、それはそのような視線を常に受けてきたからなのかもしれない。人の浅ましさに辟易しているというか、表層的なものに取り憑かれた我々の狂気に彼女らは人一倍に敏感な気がするのだ。卑しい両の目で美しい人に向ける暴力的な眼差し。私は自分が許せなかった。他の人間も許せなかった。

 

ただの一度きりであるからこそ尊いその一瞬を永遠と繰り返すことで羽毛の如く軽いものにしてしまうのだ。撮るというのはとても罪深い行為である。この悪魔の所業は至る所で見受けられるが、彼らは自分が何をしでかしているのかわからないのだろうか。ファインダー越しの私の世界などと言ってる人間を見かけると、のんきなものだなあと思う。確かになんとなく気の向くままに撮った写真も美しいものだ。だが、今の私にとっては「なぜ」を説明できること、整合性が重要なのだ。なぜその時に、なぜその対象を、なぜレンズを向け、なぜシャッターを押したのか。それが説明できなければ、途端に卑しい視線に変わってしまう気がするのだ。更には、それらしい何かを撮って人に見せるだけの承認欲求を満たすためのツールになってしまうのだ。

 

アイドルばかりだったのにどうしていきなり写真の話をし出すのかというと、完膚なきまでに打ちのめされているからだ。久しぶりにInstagramを開くと同級生の充実した日常が目に入ってきた。みんな最高にカッコいい。映画撮ってたり、舞台やってたり、アイドルやってたり、ラップしてたり、留学してたり、表参道で華麗な朝餉を摂ってたり、ブランドのレセプションパーティーに呼ばれてる中で私は何をしてる?って惨めになる。肩を並べられていたと思っていた人達がどんどん前へ夢の方へ進んでいく中、自分だけが取り残されているみたいに感じる。自分だけが後退している。噂によるとあいつはアイドル好きになってからダサくなったと言われてるらしい。外見は昔からダサいから中身がってことね。悔しい。

 

10月、突然、来月上野で舞台やるので良かったら来てくださいとLINEがきた。同じクラスになったことないし、名前と顔を知っている程度の男子。彼は柔道部で剣道部の私は部活の時に武道場付近でよく顔を合わせたりはしていたけれど、本当に顔見知りというくらいの仲。ん?舞台?何?演技やってるの?と色々疑問がありながらも観にいくと答えた。芸術にはお金を投げるべきだと思っているし安かったしね。7800円に比べれば。でも期待はあまりしていなかった。乃木坂の、まあ言ってしまえばプロの舞台『墓場、女子高生』を観てしまっていたし、正直お遊戯会レベルかななんて失礼なことを思っていた。そうしたら、引けを取らないくらい素晴らしい作品で、ずっとポロポロと涙をこぼしていた。彼、金森君がね、本当に好青年でカッコよくて、高校生役だったんだけど衣装がうちの高校の制服だったんだ。懐かしさに狂い死にそうになりながら、過ぎ去った青春を思い出しながら、目の前の舞台に入り込んでいた。公演後の面会に来てくれなくて残念だったなんて彼は言ったけど、だってあなた大勢の人に囲まれていたし、かっこよかったし、こんな何者にもなれず惨めな生活を送っている私を彼に知られるのが嫌だったから早々に帰ったんだよ。だから後で感想や質問をLINEで送った。アクターズスクールではなく芸能事務所だということが判明した。今は演技のワークショップの多いこの小さい事務所で、高校生の頃はワタナベエンターテイメント所属だったという衝撃の事実。柔道部で気合い入れて坊主にしたんだと思っていたのは役作りの為だったり。映画『3月のライオン』にも出演するんだって。私が無為な高校生活を送っていた間に彼は世界を広げていっていたんだ。そしてその世界で活躍しようとしている。どうしようもなさに襲われると同時に憧れた。舞台でスポットライトを浴びて輝く彼を見ながら、私も何か、なんでもいいから消費をするだけでなく生み出したいだなんて思ったんだ。

 

今の私は乃木坂に依存している。どうしようもない現実から逃避するために彼女達を利用している。救われたのなら恩返しがしたいのなら、彼女達のファンに見合う人間になって、素敵だなと思われるような人間になって、そこで初めて感謝を伝えることが意味を持つのだと思う。だからこれからは距離を置く。少しずつ少しずつ慣らしていって彼女達から離れていく。最初からそうだったんだ、救われたという事実だけでもう充分過ぎる筈だったのに、強欲な私は居心地のよいこの場所に浸かりすぎた。少しずつといいながら全然歩みを進められないかもしれないけど、自分のことに手を回す時間を増やさねきゃね。20歳になる前にどえらいことやってやる。どえらいもん撮ってやる。まずは貯蓄だ…。


(Twitterには普通に生息していますし、お呼ばれすればどこにだって飛んで行きます。誰にだって会いに行きます。こうして同じ"好き"で、社会的地位も年齢も出身も何もかも異なり、普通に生活していたら出会えなかった人に出会えて意見を交換して一緒に楽しんでというのが本当に私は嬉しいんです)

 

そしてこの記事に画像を貼り付けなかったのは私なりの意地。

 

それでは、チャオ。