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好きなら好きなだけ遠いよ

ぶつくさと独り言

美しいあの人

10月6日19時、品川プリンスホテルクラブex。桜井玲香主演『嫌われて松子の一生』赤い熱情編夜公演を観劇した。


桜井玲香とは何者なのか?その問いの答えを見つけられるような気がしてこうして舞台を訪れた。だって玲香さんって不気味なくらいよくわからない。キャプテンやポンコツ、若との関係に隠れて本当のあの人がどんな人間なのかが全くわからない。人狼で見られたように恐ろしい観察眼を持ち、かと思えば普段は意味のない言葉を羅列して、挙句みんなが笑ってくれることが本望だと言う。陽気であろうとする人だということも判明している。だけど、ふとした瞬間にこのまま消えてしまうんじゃないかと恐ろしくなるくらい儚い雰囲気をたたえ、表情に暗い暗い影を落とすことがある。稀に見せるその陰り。何が彼女にこんな顔をさせるんだ、その胸の内に何を隠しているんだ。私は桜井玲香がどんな人間なのかが知りたい。知りたいんだ。だが、今回も大した収穫はなかったと言える。なぜなら私が2時間ずっと観ていたのは、桜井玲香ではなく川尻松子であったからだ。桜井玲香は一瞬たりとも姿を見せなかった。


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私が思うに赤松子は「静」であった。どこまでも静かに穏やかに彼女の存在が、人生が自分の中に入ってくる。赤い熱情編というサブタイトルや前評判、脚本家・役者さんの呟きからイメージされる赤松子は激情ほとばしる強烈な女性であったが、どうも全くそのようには感じられなかった。玲香さんは、松子のありのままを彼女の人生を、観客に対し寸分の狂いなく、誤解を与えないようにと緻密な計算の上で松子を演じているような気がした。憑依では決してなかった。俯瞰としての桜井玲香が手綱を持ち、演者としての桜井玲香が少しでも松子から外れそうになると即座に正すような、そんな理論づく計算づくの言うなればシステマチックな演技であった。なだぎさんが、TMツインテールはもうしない耳が大きいからかとか、また会おうやハルジオンが咲く頃にでも、とアドリブで乃木坂ネタを挟んで笑わせてきたが、玲香さんはアイドルの自分が顔を出すのを、観客がアイドルの桜井玲香をこの場で見出すのを、本当に嫌がっていてそれに対して触れないようにちょっとムスっとしていて。それを観てああ玲香さんとくすっとなった。潔癖を愛す、完璧を求める、普段見せないその青くささが見られたようで嬉しかった。ここだけじゃないかな彼女が個人的な感情を舞台上で出したのは。玲香さんは感情的で心のままに生きる人の印象があったけれど、とても理性的で自律心の強い人なのだなと思った。でも抑え込み制御している分それが開放された時には、皆が口を揃えて言うように化けるんだろうね。


八女川徹夜。自分を太宰治の生まれ変わりと信じ文学に生きようとする男。私は岡野同様この男に嫉妬した。どうしようもなく文学的ではないか、最高の最期ではないか。超個人的な話になるが私は死に強烈な憧れを抱いており、中学生の頃から自殺願望があった。中学生の時は、死とは唯一の救済であり人間の最も私的で美しい状態であると思っていた。高校生の時は(というより現在もだが)死とは自己実現であるとともに永遠を手に入れられる蜜な行為であると思っていた。だから高校生3年生の冬、卒業前に自殺しようと本気で考え日時まで決めて色々と準備していた。その頃に乃木坂と出会ったわけだけど、乃木坂の存在は自殺への憧憬を加速させるだけであった。美しい彼女たちを見て、私の青春はもう終わる、今の美しい瞬間に、18歳の女子学生として美しいまま、永遠の存在になりたいと。何度目の青空か?を聴いて何度涙を流し何度と死にたいと思ったことか。まあ結局、人生を揺るがす一大事が私の身に降りかかり、それによって計画の遂行が困難となったところで乃木坂に救われたのだが。そんなことはどうでもいい。話を戻すと、八女川の死は私の理想そのものだった。死に際のシーンの二人の太宰の引用も好きだ。知っているフレーズがいくつも出てきて心の中で復唱していた。「疑いながらためしに右へ曲がるのも、信じて断乎として右へ曲がるのも、運命は同じ事です。どっちにしたって引き返すことはできない」(お伽草子) 「生きていさえすればいいのよ」(ヴィヨンの妻) そして大好きな詩が出てきた時には、玲香さんが口を開くと同時に自分も唱えていた。「"あなたに助けられたから好きというわけでもないし、あなたが風流人だから好きというのでもない。ただ、ふっと好きなんだ"」(お伽草子) この時ばかりは震えた。そして、頭をガツンと殴られた様に衝撃を受けた台詞があった。


純粋の美しさは、

いつも無意味で、無道徳だ 。


八女川の問い。綺麗とは何だ、美しいとは何だ。綺麗とは人に不快感を与えないことなのかもしれない。見てくれがいいだとか極めて表面的なものに思える。美しいとは不快である。目を背けたくなるし、一心に見つめていたいとも思う。美しいものには重さがある。美しいものはどんなものも許容し内包する。醜いものは美しい、欠けているものは美しい、歪なものは美しい。そして、川尻松子は美しい人だった。

"その重々しい荷物はわれわれをこなごなにし、われわれはその下敷きになり、地面にと押さえつけられる。しかし、あらゆる時代の恋愛詩においても女は男の身体という重荷に耐えることに憧れる。もっとも重い荷物というものは、すなわち同時にもっとも充実した人生の姿なのである。荷物が重ければ重いほど、われわれの人生は地面に近くなり、いっそう現実的なものとなり、より真実味を帯びてくる"  ー存在の耐えられない軽さー

松子は、その重い荷物を抱え地面に鼻を擦りそうになりながら這いつくばり必死に生きていた。そんな姿でありながら泥臭さは微塵も感じさせず、ただただエレガントだった岡野が言う様にこの人は、自分が傷つかない計算なんて出来ないんだ。ただ好きだから愛しているからとどこまでも突っ走って…自分の気持ちに正直であるだけなんだ、真っ直ぐすぎるだけなんだ。男達にとって松子という存在は眩しすぎたんだ。優し過ぎたんだ。愛し過ぎたんだ。高尚過ぎたんだ。怖くなってしまうよね、こんなにも深く愛され自分も彼女を愛しているのに、貰った大き過ぎる愛情を返せない。自分ばかりが与えられている。それは男にとって恐怖であり屈辱であり不甲斐なくもあり、あとは何だろう。それぞれに思うところはあるだろうけど、皆一概に松子は俺にはもったいないと言い彼女の前から去る。どうしてなんだよ、あんたがいなけりゃ松子の幸せは成り立たないっていうのに、どうして彼女の元を離れて幸せになれ、俺にはもったいないなんて言うんだよ、とどうしようもない気持ちでいっぱいになった。玲香さんには幸せになってほしいな。松子の様に救いの手をを差し伸べる人だから堕落した男の側にいてあげそうだし、あの鋼鉄の理性の鎧の下はとても動物的であるような気がするから、本気で人を愛してしまったら危険なことになりそうだ。


もし松子の人生を悲劇であるというのならならば、その始まりは彼女の父にあるのではないか。金を借りられたんなら(勘当された)家にも帰れるんじゃないかという八女川の言葉に松子は一言「私父に嫌われているから」それがどうにも引っかかってしょうがなかった。序盤の松子は、よく喋りよく言い訳しよく思われようとする、言ってしまえば底の見える見苦しい女だった。ここの玲香さんの小物感漂わせる演技がね本当に人を苛つかせる感じで、凄かったんだ。プロだ!なんてちょっと興奮した。そう、それで、松子のあの姿勢というのは、他者に媚びている。誰かの目を気にしているんだ。松子は川尻家の長女であるが、父は第一子に女ではなく男を望んでいたんだろう。松子はそれを感じ取っていた。でも実際には、不器用で女の子をどう扱えばいいのかわからなくてそっけなくなってしまっただけで、松子を気にかけていたし愛していたと思うんだ。手紙にもあったように死ぬ直前までね。ああそれも含めて悲劇なのか。


心の中に神がいるのならば、きっと頭の中には地獄がある。松子は神様である、神が宿っている。それに気がつくと諸々の事情がストンと腑に落ちてゆくのだ。松子がキリストならば、男達は裏切り者のユダなのか。いや信心深い信者か。キリストは最期どうなったんだっけ?…十字架に磔にされた。やりきれない。松子を遊び半分で殺した不良共を許せるのか、愛することができるのか。龍くんはできると言った。

敵を愛しなさい (Love your enemy)

「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子になるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも同じことをしているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全なものとなりなさい」

私もキリスト教の精神性には興味があるが、絶対の存在の目があるからこそ見られているという意識があるからこそ、善き人間でいられるだけであってその絶対なる指針を感じられなくなったら途端に駄目になるじゃないかなんて思うのだけど。別に宗教批判をしている訳じゃないんだ。信じる力というはすごいなというだけだ。私が一番に興味があるのは、玲香さんにとって神とはどんな存在なのか、ということだけだ。幼稚舎の頃からカトリック系の女子一貫校に通っていた、その彼女にとって神とは?そして自身が舞台上であるとはいえ神と称されることをどう思っているのか?神という存在が人格形成に何かしらの影響を与えたはずだし。若もそうだ。カトリック系の女子中高一貫校に通っていた。その点においても二人が松子を演じることに何かしらの意味合いがあるように思えてしまう。同一人物ながら双生児めいた二人の松子、赤松子・黒松子。二つが合わさることでこの舞台は完成するのだろう。私は中では未完のままだ。若の松子を観れずに千秋楽を迎えてしまうのは無念だ。


しっちゃかめっちゃかしてきたのでここら辺で一区切りにさせていただく。後日また続きを書くつもりだ。感じたことも思うことも考えることも多過ぎて、それらを捕まえて文字にするという作業が追いつかない。情報量が多過ぎる。原作を読んでないし物語も全く知らなかったので、この所作はこの表情は松子のこれまでの人生のどんな経験によるものなんだと頭も稼働していたのでキャパオーバー気味だ。台詞も音楽も覚えておきたいと欲張ってしまったしね。あ、そういえば、小坂明子さんのレコード買ってしまいました。あなた他数曲が入ってるもの。届くのが楽しみ。初めての乃木坂の舞台でこの『嫌われ松子の一生』を観れたというのはとても光栄だしとても重要なことであったと思う。…ファンとしてのターニングポイントというか。観たことで私の人生は確実に変わった。次は、ちょうど一週間後の16日に『墓場女子高生』。松子を観たことでハードルが上がり過ぎているので、どうそれを超えてきてくれるのでしょうか万理華さん。私はあなたの演技が観たくて行くんです。ああ楽しみだ。


桜井玲香は何者なのか?相反する二極のものを内に住まわせている、とそのくらいのことしかわからなかった。調査続行。これからも探っていきたい。


は、最後に。


さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行かう。絶望するな。では、失敬。